BONO

アンチ合理性。熱を帯びるつくり手を育めるか。BONOの2023年

一人のデザイナーが自分のサービス「BONO」での3年間の苦楽と、クリエイティビティの危機について赤裸々に語る。ただの技術習得じゃない、愛と情熱を込めたデザインの力を信じて、自分とサービスの大改造を決意...

BONO |


デジタル領域のデザインを知れば知るほど、
私語厳禁のスープの味を楽しませるラーメン屋ではなく、
コンビニのカップラーメンを目指すような気がする。

年末です。BONOというUIを中心としたデザインが学べるサービスを運営しているカイクンです。
サービスをリリースしてから丸3年を迎えようとしています。継続メンバーは300を超えられるぐらいにまで2023年は成長、今のところ全てほぼ1人で運営してここまで来ることができました。メンバーのみんなや、動画を見てくれたすべての方、編集などを手伝ってくれている方に感謝しています。

ただ2023年は数字は右肩上がりだけど、個人的にはかなり行き詰まりを感じる年になりました。
原因は”創造性の欠如”です。年末にブログを書かねばと思いタイプをしていますが相当な危機感があるため1人のデジタル系デザイナーの『個人サービス運営記』として雑文を記しておこうと思います。

合理的にやる不合理の仮説

行き詰まりの正体は「自分がやる意味が感じられない」「アウトプットに自信がない」です。
もっと平易に言えば、「この行動に愛はあるのか?」「本当にこれが必要だと自分は思っているのか?」といった疑問に答えられていない状態です。

2023年にやったこと

私は1人で作業を進めるため、毎週、毎月、「何を行うべきか?」を見直し、それに基づいて作業を進めています。その結果2023年にやったことを並べるとこんな感じになりました。

▼コンテンツ

□ 転職ロードマップ

  1. ゼロから始めるUIビジュアル
  2. Figma初級
  3. ポートフォリオの作り方

□ 現場1-2年向けのコンテンツ

  1. 今日から使えるマテリアルデザイン
  2. UIデザイナー1年目の立ち回り
  3. 使いやすいUIの秘密

▼ページ機能関係

□ 継続系

  1. 保存機能の導入
  2. カテゴリページの見直し
  3. コミュニティプラン

□ コンテンツ発見・理解

  1. ロードマップの改修
  2. コースページの改修

今年の前半は、「未経験からのロードマップ」の完成度を高めることに焦点を当てました。メンバーからのフィードバックを受け、特に緊急性が高い部分の対応を主に行い、初心者向けのFigmaやUI作成系のコンテンツを作成したり、ポートフォリオの作り方の整備に時間を使った結果になります。
そして、23年の終わりが近づくにつれて、次のユーザーゴールとして「現場1-2年向け」のコンテンツに焦点を移し始めました。

つくることを楽しんでいるか?
BONOの看板である「ロードマップ」を、まだ不完全ながらも強化した年と言えます。
多くを行うよりも、まずはサービスとしての価値を一つ確固たるものにすることが正しいと判断しました。これ自体自分も正しいと感じています。

しかし、自信を持って世に出せたという感覚はありません。個人的な問題かもしれませんが、「必要なものを揃える」という点に集中し、自分なりに本当に良いものを作り出す感覚が強まりました。
この感覚はサービス開始初期からあり、”とにかく使えるものを作る”にフォーカスしていた結果だと思います。(その証拠に、Twitterで新しく作ったコンテンツを自分からシェアしていません。自信のなさの表れです)

結果的には合理的に選んできたことに対し、『自分の気持ち』が伴わない結果になりました。
数字は伸びるかもしれませんが、心は死んでいます。やる人がいなくなれば、サービスは止まります。どれだけ結果が出ていても止まってしまった瞬間、全てが終わりになります。
これは合理的に見えて不合理な選択をしてきた結果だと考えています

未経験から転職できれば、それでいいのか?

2023年は、BONOを使用して転職した人が多い年でした。
その結果、「転職慣れ」が起こりました。最初の転職者の話は衝撃的だったのが、次第にその感動は減るようになりました。

それと同時に、サービス開始初期から持っていた「転職してデザイナーになっても、単なる会社の歯車になる人を生み出すのではないか?」という問いが、より強くなりました。
自分自身、デザイナーとして「UIを整理する」「自分がやらなくても変わらないUI」だけの部分に飽きて、自分でサービスをはじめる流れがありました。
作業者としての時間を減らして、もっと人の感情をクラフトすることに自分の時間を使いたいという、デザインを自分が学び始めた時に抱いた希望でもあります。

しかし、何も考えずにいると、現在のUIデザイナー、UI/UXデザイナーの仕事は、デザインシステムの整理や、与えられた要件を達成するためのUIの作成など、かなり歯車的な印象を個人的には受けます。
もちろん、自分が作成した機能や体験が世に出て、それを使ってプラスの感情を持つ人に出会えれば、それは理想です。しかし、現場に入ったメンバーの話を聞くと、エンドユーザーに直接触れる機会は非常に少ないと聞きます。個人の力不足はあると思いますが、その中でも光を感じられるデザインを進められるのか。その力を育てる機会はあるのか。

生存のためにデザインを学ぶという合理性

また、「生き残る」という言葉をよく聞きます。デザイナーとして有用な人間になることよりも、まずは自分のスキルで求められる人になるという視点がとても強いです。これを否定するつもりはありませんが、視点がそれにしかない印象を受けます。
そうしている間に、「このUIが正しい」「これはXXのやり方が正しい」という「正しさ」のみを求める歯車になってしまうのは虚しいことです。それに加担しているとしたら、束の間の希望を与えるサービスになっていることもまた虚しいと考えています。

デザインとは何か?自分が創造したものを作る喜びとは何か?それで社会や人と関わるときの意義深さとは何か?これらのことを考えることは重要です。ただ、その視点で物を作るか、人と関わるかで、デザインが増幅するかどうかは、かなり変わってくると感じています。
合理的な判断だけで必要なものを揃え、そもそもの「デザインの希望」を持った人が生まれない、自分自身からもその光が消えてしまうという危機感に、2023年は出会ったような気がします。

愛と情熱

BONOを運営する中で、しばしば直面する困難な質問があります。「どのようにすればデザイナーとして生き残れますか?」「どうすれば採用されますか?」といった質問です。これらの質問への気持ちは理解できます。それが彼らのゴールであるからです。それを否定するつもりはありませんし、そう考えようとする姿勢は重要だと思います。

自分が関わるものに愛や情熱があるか、それとも世間の評判や他人の目が気になるのか、これらを考える必要があります。正直に言うと、採用現場でも「この人は未経験だが、自分なりに研究し、ユーザーを理解しようとして、このアウトプットに到達したのだ」と感じられれば、それは魅力的に映ります。世の中は効率主義者で溢れており、何となくデザインをする人が多い中で、情熱を込められる瞬間は、プロフェッショナルでも年に1回あれば良い方でしょう。

つくるという行為を通して、生活を見る視点を得る。
そうすることで愛や情という熱を帯びる。
不完全でも自分が手を入れたものに希望を見出し始められる、借りそうかも知れません。

つくり直す

私がこの状態に陥ったのは「明確なコンセプトの欠如」にあります。

最初の頃は、事業として成立させることに必死で、「UIを軸にしたデジタル系のデザイナーとして基礎スキルを身につける」というゴールに向かってサービスを運営してきました。仮にコンセプトがあったとしたら、適当に教えて高額を請求するスクール業界に対するアンチテーゼくらいだったでしょうか。
ただ、ゴールに向けての道のりを描くことに専念した結果、合理性に基づく面白みのない、楽しくないサービス運営になりました。
今一度、立ち止まって「サービスの目的は何か?」、「BONOを通じて何を表現したいのか?」を見直す必要がある。

BONOが「UIを学ぶならあそこ」というだけの存在では、とても虚しい。
単にUIを作る作業者を生み出すのではなく、デザインというスキルを軸にして、社会に働きかけ、隣人を助ける行動を起こす。
自分が手を入れたものに熱を帯びそれで社会と関わる。
自分がデザインという武器を手にした時に感じた事に近いことを多くの人が感じられるサービスが理想かも知れません。

とはいえ「美しい言葉だけで、実際にやっていることはUI作成ではないか?」という状態がつづくことになるでしょう。
最初はそれで良いと思っています。

コンセプトが変われば、考え方が変わり、アウトプットが変わる。
積み上がった数字を減らしてでも、結果として長い時間を使って今とは違う形にしていくことで、長く携われると考えています。

おわりに。自分をリデザインする

コロナ、戦争、日本の低成長、不安の空気が土台にある社会になりました。その中の新しい選択肢としてデジタル系のデザインを選ぶ人もいると思います。

トレンドであるデジタル分野、場所や時間に縛られない可能性のある業界。魅力的です。個人的にも業種関係なく、無駄な部分はどんどん変えていけば良いと思っていますし変えられるはずだとも思っています。ただ、快適な生活を売りにしたスクール広告、そこだけを求めるデザインには異議を持ち続けたい。

”ものをつくる”行為を通して解釈できる世界があるということを僕は少なくともデザインから学びました。世界を見る観点を1つもらったことが自分がデザインを始めて1番の恩恵だった感じます。
デザインはこうである。というつもりはありません。
ただ自分で出しているラーメン店ですから、効率的に運営する人には出せない味を出していかないと面白くないゲームを自分で選びたい。

そのために、まずは自分からデザインし直す事にしたいと思います。
生活のコンセプトを定義し直し、そこから生まれる新しい基準に向かって新しいささやかな挑戦を自分でしていきたいと思います。


😇
読んでいただきありがとうございました!!